Column

瀬島龍三~神業の交渉中

覚王山不動産販売の石原です。

以前の日経新聞『私の履歴書~室伏稔 元伊藤忠商事会長』(2011年9月18日付)に、

山崎豊子氏の不毛地帯のモデルとされる
瀬島龍三氏が紹介されていました。

 

とても勉強になりましたので、ご紹介申し上げます。

(以下、要約)

瀬島龍三氏は、厳しいが仕えやすい上司でもあった。
常に指示が明快かつ的確だったからだ。

不明瞭な報告や、瀬島さんの指示を履行していない部員には
厳しく指導したが、叱った部員には必ず後で声をかけ、
気配りを忘れない人だった。

瀬島さんの日常業務で指導されたことは、以下の3つ。

(1)報告書は必ず紙1枚にまとめる

(2)結論を先に示す

(3)要点は3点にまとめる

瀬島さんは、3枚以上の報告書は突き返した。

「どんな複雑なことでも要点は3つにまとめられる」

が、瀬島さんの口癖。

部員に物事の本質を見極め、整理する習慣を身につけさせた。

米ビッグ3(GM、フォード、クライスラー)等との、
瀬島さんの交渉ぶりは、「神わざ」で、
こちら側の主張に対する相手側の出方、返答を
あらかじめ読んでいた。
(大抵、瀬島さんの読み通りだった)

瀬島さんは、交渉の場ではメモを見ず話したが、
瀬島さんの論理性と説得力に、途中から相手側が
ぐんぐん引き込まれ、熱心に聞くようになるさまは
驚きだった。
(フォード副社長も、感服していた)

瀬島さんの交渉での別の特徴は、
知らないことは「知らない」と率直に答え、
「調べてご返事する」と約束し、
必ず実行することだった。

時に、こちら側の都合の悪いことも一切隠さず話され
それが人の信頼も生んだ。

「用意周到、準備万端、先手必勝」

交渉や事業の着手にあたって、瀬島さんが
よく口にされていた言葉である。

とにかく徹底的に準備をしてから事を始め、
とにかく相手に先んじることが必勝の道という教えであった。

商社の収益源を貿易取引の口銭から、
事業投資による配当、利益分配に移した戦略も
瀬島さんが先駆けだった。

特に資源開発については、

「石油や鉱物資源を取引だけでなく、資本で押さえることは
長期的会社の利益になるだけでなく、国益につながる」

と主張された。

※瀬島龍三氏の経歴

1911年 農家の三男として生まれる

1932年 陸軍大学校第51期首席

1941年 大日本帝国陸軍、大本営作戦参謀

1945年 シベリア抑留(11年間)

1956年 シベリア抑留から帰還
※自衛隊よりの再三の誘いを受けたが、
シベリアからの復員兵の就職斡旋に奔走

1958年 伊藤忠商事、入社
1961年 伊藤忠商事、業務部長(Speed出世)
1962年 締役役業務本部長(半年後に常務)
1968年 専務
1972年 副社長
1977年 副会長
1978年 会長
1981年 相談役
1987年 特別顧問

※1982年~1987年
中曽根康弘の中曽根政権のブレーンとして、
第二次臨時行政調査会(土光臨調)委員などを務め
政治の世界でも活躍

2007年 死去(享年95歳)

覚王山不動産販売 石原

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